溝はあるか



 痛えよ許してくれ死にたくねえ、なんて命乞いが耳に入ってくる時点で、そいつの格はたかがしれてる。俺なら一発でしとめる。痛いとか許してとかそんな思いを抱くひまさえなくあの世へ送ってやる。慈悲じゃねえ。仕事だからだ。
 拳銃の引き金をまるで人が死ぬスイッチみたいにポンポンポンと押して殺して、俺はその場を部下に任せてホテルへ帰った。見張りの連中に手を振って会釈を返し、エレベータを上がってラウンジに入る。まっすぐベルナルドの仕事部屋に向かい、今日の報告を済ませた。それを聞いていたベルナルドは俺の顔を見てなにか言いかけたが、けたたましく鳴り出した電話のベルに捕まり、申し訳なさそうに手を上げて、話の終わりを告げた。
 俺はラウンジに戻った。今日はもうすることがない。自分の部屋に向かうような、向かわないような、あいまいな足取りで、俺は廊下を歩いた。
 突然そばにあった扉が開いた。中から仕事姿のルキーノが顔を出す。香水の上品な香りがした。あいかわらず俺の好みでない匂い。
 ルキーノは俺に気づき、きょとんとした顔で俺の顔を見て黙り込んだ。
「……今から仕事かよ」
 沈黙が気まずく、俺は当たり障りのないことを言った。ルキーノは俺の声が聞こえたのか聞こえていないのか、相変わらずぽかんとしたまま口を開いた。
「おまえ、どうしちまったんだその顔」
 はあ?意味が分からなかった。しかしルキーノは一向に構わず両手を出して俺の顔を掴んだ。
「な、にすんだよ、」
「ずいぶんしょぼくれて色男が台無しだぜ。いや、まあ、もともとそんなたいそうなもんでもなかったかな」
「てっめえ」
「それにしてもひでえ面だな。なんだ、よっぽど辛い仕事だったのか?」
 ルキーノは俺の頬をつねったり、撫でたりしながら、労わるようにそう聞いた。別に辛くもねえし大変でもねえあんな仕事、いつもやってることと同じだ。俺はそう言いたかったがなぜか言葉にならなかった。
 俺が黙っていると、ルキーノは親指で俺のまぶたを撫でた。
「悪いが、もう行かなくちゃならん」
 そう言って俺の額にキスをして、悪戯っぽく笑う。
「イヴァン、俺の部屋を使ってていいぜ。俺が帰ったら、たくさんよしよししてやるよ」
 じゃな、と軽くウインクしてルキーノは颯爽と去っていった。子ども扱いされたことに苛立って、俺は口の中で小さく文句を呟いたあと、当たり前のようにルキーノの部屋の扉を開けた。


 部屋に鍵をかけて靴を脱ぎ捨て、ベッドに飛び込んだ。整えられたシーツをわざとぐちゃぐちゃにして布団に突っ伏す。ふと顔を横に向けると、椅子にブランケットがかけてあった。ルキーノがよくひざ掛けにしている肌ざわりのいい毛布。俺はうんと腕を伸ばしてそれを掴み、引っ張った。抱き枕のように抱えて息を吸い、息を吐く。泥のような睡魔が俺を襲い、なすすべなく暗闇へ落ちてゆく。


 ベルナルドは罠にはめる。ルキーノはマシンガンを使う。ジュリオはナイフで刺す。ジャンは……よくわからねえ。
 俺は殴り合いの喧嘩なら負けねえと豪語し、高らかに笑い、そして、そして……。
 俺は本当は殺したくなかった。
 肥溜め以下のクソ野郎、死んで当然の変態ペド野郎、すべて、この世のすべてのチンカス共、あいつらどうにかして自分で死んでくれねえかなあ。人を殺すボタンではなくて自分で死にたくなるボタンがあればいい。誰にも迷惑をかけずこの世の隅っこで慎ましく最期を迎えるボタン、が、あればいいのにな。
 銃で撃って銃で撃って銃で撃って、もう撃ちたくないと思ったことはない。いくらでも撃つ。仕事だからだ。仕事じゃなくてもだ。
 でも殺して殺して殺して、もっと殺したいなんてとうてい考え付かない。
 あいつらはしらねえんだ、生命ってのがどれほどおそろしいバランスで紡がれているのか。それを奪う瞬間、遺伝子に訴えかけてくるような背徳感を。


 なんだかよくわからないぐちゃぐちゃした夢を見た。俺は起き上がって髪をかき上げる。まだルキーノは戻っていないようだった。今の時間は……夜中だろうが、正確な時刻はわからないし見たくもなかった。俺はルキーノのブランケットを引っつかみ立ち上がった。
 バスルームの扉が開いたのはそれとほぼ同時だった。
 俺はあまりに驚いて声すら出なかった。一方、バスルームから顔をだした男、部屋の主、ルキーノはタオルで髪を拭きながら優雅にほほ笑んでいた。
「イヴァン、起きてたのか」
「て、てめえ、いつ戻ってたんだ?」
「ついさっき、だよ。誰かさんが俺の毛布を抱きしめてすやすや眠っているもんだから、起こすのも忍びなくてな」
 そして俺の手元を見て、にやりと笑う。
「なんだ、よっぽど気に入ったのか?その毛布」
 俺は一気に顔が熱くなった。当然反論は出来ない。悔し紛れに大きく舌打ちをすると、ルキーノの大きな手が伸びてきて、俺の頭を乱暴になでた。
「いてっ、いてえな!なにすんだ、」
「なにって。帰ってきたらよしよししてやるって言っただろ?おーよしよし。イヴァンはおりこうだなあ」
「てんめええええ」
 ぎりぎりと歯を食いしばってルキーノを睨む。と、ふいに人差し指を唇に押し当てられた。シー、と、息の漏れるような声。
「もう夜中だ。穏やかにいこうぜ?」
 そう言って、自分はさっさとベッドルームへ向かう。ちくしょうこのやろう余裕ぶりやがって、と、俺は心の中で叫び、もう一度ベッドルームに戻った。さっきまで自分が寝ていたベッドのシーツはぐちゃぐちゃで、何となく生々しかった。
 俺がベッドに腰掛けると、ルキーノはベッドのそばの椅子に座り、テーブルの上に銃を並べた。今日使った銃か、明日使う銃か。ともかく丁寧に手入れしている。俺がそれを見つめていると、
「ああ、それにしても膝が寒いなァ」
と面白がるような口調でルキーノは言った。俺は、自分がまだルキーノのブランケットを抱えたままなのに気づいて、思わずそれを投げつけそうになった。
「いいって。持ってろよ」
 ルキーノは優しく笑いながらそう言った。手元では淡々と銃が整備されていく。俺は思わず口を開いた。
「ずいぶん、大事にするんだな。まあ……当たり前だけどよ」
「はは。まあな。もともと好きなんだ、銃をいじるのが」
 ルキーノは弾を抜いた銃を構え、俺に向ける。弾が入ってないのは見て知っていたのに、その奥にあるルキーノの目があまりにぎらぎらと光っていて、思わずぞくりと震え上がる。
「あれはいつのことだったか……俺は数人の部下を連れていた。そして抗争の相手は少なくとも数十人。突然の襲撃だったから、銃も、弾も、足りなかった。俺たちは身を隠しながらチャンスを待った。そして……」
 ルキーノは椅子から立ち上がり、身を翻した。バスローブから伸びた長い腕が、見えない敵に銃を向けている。
「頭に二発、心臓に二発。相手は倒れて動かなくなった。それがそいつらのリーダーだったものだから、やつらいっぺんに総崩れさ。その隙に俺たちは逃げ帰った」
 ルキーノの吐息が、見えない硝煙を吹き消す。
「ありゃあ、気持ちよかったな」
 屈託のない笑みをたたえて、俺を見据える。まるで俺の心を全て見通すかのような、冷静な目で。
「なあ、イヴァン」
 ルキーノの声は堂々としている。俺を挑発しているようにも聞こえる。
「俺たちの間に溝はあるか?」
 うるせえ黙れこの殺人狂め、と、片付けるには、あまりに近しい存在だった。俺はベッドの上でじっと固まる。ルキーノが手入れの終わった銃をテーブルに置いて、俺の隣に座った。
「おまえは面白いくらい、俺の後を辿るような悩みをもってる」
 生い立ちも立場もぜんぜん違うのにな。そう言うルキーノの声は淡々としていた。
「だからって、俺みたいにならなくていいんだぜ。アホらしくて残虐なエピソードを武勇伝のように語る大人になっちゃだめだ」
「……それ、自虐かよ?」
「そう聞こえたか?」
 こいつのこの余裕はなんなんだろう。本心がどこにあるのかさっぱり分からない。ただ俺は、コイツが嫌いじゃなかった。
 そう自覚すると、俺は無性に人恋しいような気分になって、半ばやけくそでルキーノにもたれかかった。ルキーノは声を上げて笑い、俺の頭を撫で回す。
「ったく、ようやく素直になったか」
 そう言って俺を甘やかすように、俺に優しく触れたり、口付けたりした。時折ぞくぞくするような触れ方をされて、腰の辺りが鈍く疼く。何かが欲しくて何が欲しいのかわからなくて、助けを求めるようにルキーノを見上げる。ルキーノは目を細め、指先で俺のうなじを撫でながら、言った。
「約束どおり、よしよししてやるよ」
 もしかしたら俺は泣くかもしれない、と、何となく思った。


おしまい

2010年4月29日 保田のら