破顔一笑 イヴァンがめずらしく目に見えて落ち込んでいる。なんでも信頼していた部下が一人死んじまったらしい。普段あんなにやかましい男がこうも塞ぎこんでいると、場の空気まで暗くなる。だが俺たちはみな、慰める言葉なんて持ち合わせておらず、ただ自分達の、ヤクザな商売を改めて突きつけられたような、運命の女神にザマアミロと嘲笑されているような、どうしようもない大いなる流れを感じるばかりだった、 わけがない!少なくとも俺は。悪いが力技なら得意なんだ。 俺はイヴァンを呼び出した。俺のスイート・ホームに。あからさまに落ち込んでいるイヴァンは、仕事だけはどうにか騙し騙しこなしていたが、俺のあほらしい申し出に付き合う気は一切なかったようで、めずらしくスラングすら吐かず、NO,と言い切った。まあそれくらい想定済みだ。俺はめげずににっこり笑うと、イヴァンの首根っこをつかみ、ぽいっと車に放り込んだ。腑抜けたこいつなんか片手でどうにでもできる。実はそれが一番心配だった。いつまでもこんな有様じゃ、GDどころかそのへんのちびっこヤンキーにさえ殺されちまう。 目を白黒させているイヴァンを乗せて、俺は自ら自分の家まで車を走らせた。 ようやく自分の鳴き声を思い出したイヴァンは、ファックだのシットだの喚き始める。俺は上機嫌で運転しながら、 「なあイヴァン?おまえ、俺にしてほしい事ってあるか?」 と唐突に聞いた。 「っはァ?寝ぼけてんのか。何よりまず帰してくれ」 「まあそういう願いでもいいけどな」 俺はハンドルをゆるやかにきる。 「何でもひとつ、言うことを聞いてやるよ」 「……?」 「何でもだぜ。厳選しろよ。物でもいいし契約でもいい。いつもがんばっているフィオーレ幹部に、俺からの捧げ物さ」 「……てめえ、正気か?」 「ああ、もちろん」 「俺がてめえのシマをよこせとか、地位を渡せ、とか、そういうことを言い出しても?」 「おまえが心からそれを望んでいるならな。もちろんいいさ。おまえに渡してめったなことになるとも思えないし」 「……」 イヴァンはじっと考え込んだ。俺は機嫌よく運転を続ける。今言い出した提案はもちろん本気だった。ある意味掛け値なしの信頼だ。 しかし。 「もちろん条件はあるぜ。ひとつだけな」 「条件……?」 頭を最大限フル稼働させていたらしいイヴァンは、鋭い目つきで俺を見た。しびれるね、そのまなざし。俺は口笛を吹く。 「ああ。だから今こうして、俺のホームに向かってるんだよ」 「……」 イヴァンの顔がまた曇る。どうやら考えるのをやめたらしい。ぼんやり窓の外を見て、物思いに耽るように目を細めている。俺は気持ちが逸った。マイ・スイート・ホームはもうすぐそこだ。 車を停めて、家の前に待たせていた部下に会釈する。足取りの重いイヴァンをひきずるように中に入った。 「……趣味の悪いコロンだな?」 玄関に入ったとたん、イヴァンが眉をひそめた。室内に充満する匂いのことだろう。残念ながら香水の香りではない。じき分かる。俺はそれには答えずに、ずんずん廊下を進んだ。そしてある部屋の前で立ち止まる。 「この部屋だ」 イヴァンに目配せし、ドアを開けるよう促す。イヴァンは心底疑わしそうな顔つきで、俺を見た。が、ここまで来て抗うのもあほらしくなったのだろう、素直にドアノブに手を掛けた。 扉を開ける。 むせかえるような、ローズの匂い。 俺は大口を開けて笑った。 イヴァンは目を丸くしている。 こじんまりしたベッドルーム、その床一面に薔薇の花が敷き詰められていた。 「この薔薇、すべて棘が取ってある。ある一本を除いてな。その、棘のある薔薇を見つけられたら、俺はおまえのいうことを、ひとつ、何でも聞いてやろう」 イヴァンはぽかんとしている。真っ赤な部屋を見つめながら。 「おい、ルキーノ」 「なんだ?」 「この途方もねえ数の薔薇、ほんとうにぜんぶ、棘を取ったのか?」 「ああ、もちろん。なんなら寝そべってみな。ローズの匂いにうっとりするぜ」 「誰がそんな労力使ったんだ」 「俺と、俺の部下が。おかげであんまり眠ってないんだぜ。ほれ、はやく探してくれよ、棘のある薔薇を」 おれがそう言ってイヴァンの肩に手を置くと、イヴァンはぱっと振り返った。きらきら光る目を細め、顔中しわくちゃにして、 「ぶぁーーーーーか!!」 破顔一笑。白い歯がこぼれる。ああ、その顔が見たかった。 俺は天井を仰いで大笑いした。イヴァンはあまりに笑いすぎて、涙さえ流している。腹を抱え、やがてうずくまり、薔薇に顔を埋め、肩を小刻みに震わせて、そして大声で泣きじゃくった。 俺は適当に薔薇を一本拾い上げる。棘のない茎にキスをして、胸元に刺す。イヴァンはまだ泣いている。俺はそれを見ている。そのまましばらくそうしていた。薔薇の匂いは、もう分からない。 おしまい 2010年5月4日 保田のら |