爆ぜるまなこで


 聖書のページを繰りながら明日仕掛ける抗争の武器に思いを馳せる。目を閉じ祈りを捧げながら背後の気配を感じ取る訓練をしてみたりする。俺の頭はいつだって二つのことを考えていて、けっしてひとつのところに定まらない。
 パン、と空気を割るような音が鳴り響いた。やっちまったな、俺は舌打ちをして音の出所へ向かう。こうならないためにフォローしに来てやったのに、これじゃあ喧嘩っ早いあいつの尻拭いさえできない。
 路地に入ると遠目に人の塊が見えた。横たわる人間と立ち尽くす人間。俺は立っているほうに声をかけようとして、何かを思い切り踏んづけてしまう。くしゃ、と紙が折れる音がした。靴にまとわりつくそれを拾い上げると、ひと月前にばら撒かれまくった糞ゴシップ紙に、血がべっとりとこびりついていた。俺の顔写真にも汚れが飛んでいる。俺はため息を一つついて、改めて、立ち尽くしているほうの人間に声をかけた。
「なに、プッツンしてるんだ、イヴァン」
 イヴァンは俺の声を聞いたとたん、弾かれたように持っていた銃をズボンに突っ込んだ。すぐにその無意味さに気づいて、唾を吐き捨て、口の中でごもごもと文句を垂れる。俺はイヴァンの足元に転がる死体を見下ろした。頭に二発。
「何で銃なんか使うんだ。こんな小競り合いで……」
「使おうとしたのはこのクソの方だぜ。頭に来たから奪って仕返した。それだけだろーが」
 イヴァンは死体を蹴飛ばすような仕草で吐き捨てた。さすがに見過ごせず、俺は口を挟む。
「おまえ、自分を神か裁判長か何かと勘違いしてないか?こいつがクソなのは……想像がつくが、クソなだけだろ。こんなもん、ふんじばってゴミ箱につっこんどきゃいいんだ」
 俺はそういいながら、イヴァンがギャンギャンと吠えてくるのを予想して身構えた。だがイヴァンは何も言わない。きょとんとした目つきで、俺をじっと見ている。よくよく見るとイヴァンの顔や手には結構な傷が出来ていて、血が滲んでいたり、痣が浮き出たりしていた。そんな傷を携えながら、イヴァンは反論一つせず、俺をぽかんと見ている。
「……イヴァン?大丈夫か?」
 何だか心配になって、俺はイヴァンの肩を叩いた。イヴァンは叩かれた肩より、俺のもう一方の腕、握られた糞ゴシップ紙を見ていた。イヴァンがプツンとキレた理由は何となく想像がつくので、俺は気後れするような心持ちだった。
「俺は」
 イヴァンが口を開いた。上滑りするような軽い声だった。
「俺は……なんでか知らねーけど、おまえに褒められるような気がしてた。それしか考えてなかった……」
 イヴァン、誰に話しているんだ?そう聞きたくなるほど、イヴァンの顔は呆然としていた。それなのに目ばっかりパチパチと爆ぜるように光っていて、俺を疑いなく見つめているのだった。
「……ったく、そんなに傷つくりやがって、」
 俺は話を逸らすように、イヴァンの腕を掴んで引き寄せた。引き寄せながら俺は考えている。丸く収まる方法、ともかくこの場をどうするか。それなのにこいつときたら、ただ俺に労われることだけを考えているようだ、この疑いのないふたつの眼をもって、脳みそすべて俺に傾けて。
「ルキーノ、怒ってるのかよ、」
 イヴァンが俺をまっすぐに見つめてそう聞く。
「怒ってたら、おまえなんて見捨てて帰ってるよ。」
 俺がそう言ってやると、イヴァンは、ヘッ、と短く笑った。相好が崩れ、白い八重歯が零れる。すっかりご機嫌な様子だ。山積みの問題を差し引いても、その笑顔がすこし可愛く見えてくる。ちくしょう、なんだかなあ。俺はいまいち腑に落ちない。しかし着実に流されている。
 なんせこいつの頭ときたら、すべての容量フルに使って俺のことだけを考えているのだから。そんな掛け値なしの思いにかなうはずがない、俺の定まらぬ頭では。


おしまい

2010年5月13日 保田のら