みやげにもらったサイコロふたつ 手の中でふれば また振り出しに戻る旅に 陽が沈んでゆく (落陽/吉田拓郎) 師匠は言う、こんなものは、個人にはどうしようもない、人間という種族自体がかかえる業のようなもので、変えることもできないし、介入もできない、したところで意味がない。 「じゃあおれは、何のためにここにいるんだ?」 「そんなん知るか、ボケ。自分で考え」 師匠は吐き捨てるように言った。おれは腕を組み考える、あいつらは好きだ、あいつらは月宿をきれいにしようと頑張っている、あいつらを見る限り、人間というのはそう悪いものでもない気がしてくる。 「ほう、それで、あいつらがまあ、頑張ってるとして、や。たったそれだけで、この土地の人間まるっと許すんか?おまえの役目はそんな単純でええんか」 「師匠、」 「言うとくがおれは知らん。おまえが、判断せえ」 師匠はそう言って、きびすを返し、その場を去った。おれはその背中をじっと見つめる。冷たさではない、薄情でもない、ただひたすら、悲しみと諦めがないまぜになったような、後姿だった。 ちーちゃん、ちーちゃん。おれが呼ぶと、たいてい、嫌そうな顔をして、それでも無視はせず、ちーちゃんはおれの話を聞いてくれる。 「なんや、うっとうしい……。今日はもう帰って寝るねん、手短に話してくれや」 「うん。あのね、今日、これから、部活するから!」 「……」 「おれ広瀬たちに声かけてくるから、ちーちゃん、放送室の鍵、あけといてねーよろしく!」 「……あのな、ノリ」 「なあに?」 「それ、誰に向かって言うてんのん……?」 「だれって、ちーちゃんだよ?じゃ、よろしくねー」 おれは軽くそう言って、一年の教室へ向かう階段を駆け下りた。おれは何となく感じている。この日常が、近いうち、がらりと変わり、壊れ、少なくとも、ちーちゃんとはもう会えなくなる、そんな予感。 ちーちゃんは、なにを知っていて、なにを隠しているのかな。 おれはそんなことには関わりなく、ただ、少しでもたくさん、ちーちゃんをかき回し、振り回し、困らせることが出来たらいいなと、そうやって毎日を過ごしている。 おれの目の前で、人間は愚かな行為と、清らかな行動と、慎ましい営みを、ひたすらにくりかえし、振り出しに戻ることはあってもけっしてゴールすることはない。 気まぐれに、弟子をとった。とったというより、流れで引き取らされた。これが阿呆に輪をかけたど阿呆、取り柄だという元気さえうっとうしい男だった。さらに、弟子の様子を見るため降りた町で、女みたいな男に一方的に友人認定され、そのままずるずると、あちこち引きずり回されている。 おれの日常は非日常にかわり、おれを巻き込んで、日々はあちこちよそ見をする。 だが、履き違えてはいけない。 擦り切れるほどリピートされる映画の、ほんの3秒程度のシーン、そこのエキストラの服の色が変わったって、映画自体にはなんの影響もおよばさない。 およばさないのだ、けっして。 「師匠?どうしたんだ、夕日なんて見て、たそがれて。失恋かァ?」 弟子が大声でそう言った。言い終わると同時に、木の上からぞうりを投げつける。いてっ、と、ばか弟子は頭を抱える。 「情緒のないやっちゃな。モテへんで、女に。」 「師匠こそ、そのよくわかんねえ髪の毛のクセ、なおしたほうがいいぜ!」 おれは振りかぶり、もういちど、もう片方のぞうりを、懇親の力をこめて投げつけた。さすがに危険を感じたのか、戸神はすれすれでそれを避ける。 ためいきをひとつついて、おれは、ふたたび夕日に目を戻した。これまで、何百回、何千回と見てきた夕焼け。まったく目に入らないほどどうでもよく感じるときもあれば、ひどく胸にしみて、鼻の奥がつんと痛む日もある。 「師匠、」 戸神が少しだけ顔を曇らせて、こちらを見上げている。 「なんやねん、その顔。湿っぽいのは嫌いや言うたやろ」 「いちばん湿っぽいのは師匠じゃねーか!」 「おれはええねん。自分の涙は自分で拭くから。」 日が沈む風景の中、とぼとぼと帰路につく人がいる。夕日にせっつかれて慌てて帰る人が、夜が来るとよろこび勇んで家を出る人が、ただぼんやりと沈む太陽を見つめる人が、いる。 人間というのは、人間というのは……。 「師匠ー。元気出せよな!」 木の下では戸神がやいやいと大声を上げている。そういやおまえも人間やったんやなあ、そう思い、ふとこみあげる侘しさに、おれは、鼻で笑って目をそらした。 おしまい 2010年7月4日 保田のら |