いっしょにあそぼう


 練習試合が終わった直後、数人の友達に背中を押され、はにかんだ様子でこちらに近づいてきた女の子は、木ノ瀬を通り過ぎ、部長を通り過ぎ、副部長を通り過ぎ、おれを通り過ぎて、犬飼の前に立った。そして、きょとんとしている犬飼に、おずおずと可愛い封筒をさしだして、
「これ、よかったら、読んでください…」
と、ふるえる小さな声で言うのだった。
 木ノ瀬と部長は気づいていない。副部長は驚いた顔で犬飼を見ている。そして当の犬飼は、何かの間違いだろ、というような、引きつった笑みを浮かべながら、頬と耳をほんのり赤くしていた。
 おれは、
 おれは何故だか知らないが、この光景に、心の奥底からショックを受けていた。
 なんだこれ、なんなんだろうこの気持ち?
 自分でも説明できないほどの深い悲しみ。胸にぽっかり空いた穴から冷たい風がびゅうびゅう吹き抜ける。





 学校へ帰ってくるなり、おれと小熊は犬飼に詰め寄った。
「犬飼先輩、さ、さっきの女の子、いったい誰ですかっ?」
「そうだぞ犬飼、おまえだけずるい!」
 おれはそういって犬飼の肩をつかみ、ゆさぶった。犬飼は頭を揺らしながら、
「やめろ、うっとうしい」
とおれを睨んだ。
「う、うっとうしいって…。だって…だって…」
 とたんにしゅんとなったおれを、小熊がかばう。
「で、でも、さっきのって、絶対ラブレターですよね?」
「知るかー。まだ見てねえもん」
 犬飼は興味なさそうにそう言って、ポケットから封筒を取り出した。封筒はくしゃくしゃになっていた。
「ああ、もったいない」
「しょうがねえだろ。いきなり渡されたんだから、とっさにポケットに突っ込むしかねえよ」
 犬飼は封筒の封を乱暴に開けて、中から便箋を取り出した。犬飼がいましている、乱雑でぶっきらぼうな行いが、すべてこいつの照れ隠しだということを、おれと小熊は知っていた。だからよけいに悲しい。
「何て書いてある、」
「待てって。おれは速読士か」
 犬飼は呆れたように言って、便箋に目を落とした。そのまましばらく沈黙する。目が文字を追って、静かに揺れるのさえ、おれにとってはひどく悲しかった。
 でも、なにがどう悲しくて、ただ嫉妬しているだけなのかそうじゃない理由があるのか、それはおれ自身にもよく分からなかった。
「……ふうん、」
 犬飼はなんてことなさそうに呟くと、便箋をたたんで封筒に入れた。おれと小熊の体が前のめりになる。犬飼はあいかわらず、呆れたような顔をしていた。
「これでさ。宮地君のプロフィールを教えてください、とかだったら笑えたのにな」
 そんな軽口を叩いて笑っている。
「なんて、なんて書いてあったんですか?」
「べつにー。よかったらお友達になってください的な、そーゆー内容だった」
「それってまるきりラブレターじゃないですかあ、」
 小熊がうらやましそうに声を上げた。ねえ白鳥先輩。急に同意を求められ、おれは、そうだよ犬飼だけずるいぜおれだって女の子にもてたい!と、言おうとした。
 でも言葉が出なかった。
「あ、ああ、うん、」
 代わりに出たのはひどく傷ついた相槌だけだった。
 小熊は目を丸くしておれの顔を見つめる。犬飼も、さっきまでのふざけているような顔をひっこめて、心配そうな目でおれを見た。
「あ、あはは、あれっ?おれ、なんかおかしいな。自分でもよくわかんないや。ちょっと、顔洗ってくる」
 おれはそれだけどうにか言うと、身を翻してその場からたち去った。心の片隅で、追いかけてこいよ、犬飼、と思いながら。


 犬飼は追いかけてきてくれた。
 おれが水道で顔を洗い終わると、最初からずっとそこにいたような雰囲気で、タオルをおれに手渡してくれた。
「ほらよ、」
と、何気ない言葉さえ、とてもやさしく聞こえる。おれは受け取ったタオルで乱暴に目をこすった。それからおそるおそる顔を上げる。犬飼が、やはりなんてことなさそうな、気の抜けた佇まいで、おれを見ていた。
 そしておれと目が合うと、にやりと笑う。
「なあに、傷ついてんだか」
「だなあ、」
 おれもつられて笑った。なんだか気が抜けた。ふにゃりと笑うと、こだわっていたことすべてがどうでもいいような気がしてくる。
「おれにもよく分かんねーや。でもさっきは、なんか、なんか…」
 言葉にならないあの寂しさは一体なんだったのだろう。
「…ま、なんでもいいんじゃね?白鳥が何にショック受けてたんだか、しらねえけど」
 犬飼は言いながら、にっと笑う。悪戯っぽいいつものこいつの笑みだ。
「おれはまだ、おまえらとツルんで、いっしょに馬鹿やってるほうが楽しいし。しばらく、恋愛とかは、いらねえなァ」
「ええっ」
 おれは身を乗り出した。てっきり、あの女の子といい感じになってゆくんだろうと思ってた。案の定犬飼は顔を崩して大笑いする。
「なんだよ、おまえ、不満なのか?いいじゃん、もうちっと、一緒にあそぼうぜ」
「あ、…ああ、うん…。うん、もちろんだ!」
 おれは勢いよくそう言って、犬飼の手を取った。両手を握り、犬飼の目を見つめ、
「いっしょにあそぼう!」
と、はっきり言った。
「まあ、そんなに目をきらきらさせちゃって、」
 犬飼は呆れたように笑い、それから肩をすくめる。
「おれたちがあんまり相思相愛になると、小熊ちゃんが嫉妬するぜ」
「うん、うん!」
 我ながら適当な相槌だ。しかしおれは、うれしくって、うれしくって、たまらない。そうだよ、遊ぼう、もっと、ずっと、おれたち遊んでいよう。
 完全復活したおれに、犬飼がひとこと、
「単純なやつだなー」
と突っ込んだ。おれはなおさらにっこり笑う。
 そうだよおれは、単純なんだ。だからずっと、おれに、付き合ってくれよ。犬飼。


おしまい

2010年5月18日 保田のら