噛み殺して日々を



 うずくまっているのは幼い容姿の犬飼だ。
 小さい体をもっともっと小さくして、頭を抱え、ふるえている。思わず手を伸ばし、なにか言ってやろうとすると、うしろから急に、「やめてくれよ」と、怒られた。
 ふりかえると犬飼が腕組をして立っていた。
「これから寝かすところなんだ。さっきまで暴れてて、ようやく静かになったんだから、変につつかれると困るんだよ」
「え、あ、そうなの、」
 とっさにおれは、ぱっと手を引いて、取り繕うように少し笑い、あわててその場を去った。犬飼が幼い犬飼を羽交い絞めにするかのように無理矢理ねじふせて寝かそうとするのを、おそろしい気持ちで、目の端にとらえながら、それでもおれは立ち去るしかなかったのだった。
 立ち去りながら、これはなんだと考える。
 これはきっと夢だろう。
 夢、なんだろう。




「夜久はさ、好きな人とかいるのかなあ。もしいるんだったら、誰なのかなー……」
「そりゃあれだ、あいつが好きなのって、宮地だろ。見てたらわかるじゃん」
「うわああ、はっきり言うなよ犬飼!ばか!」
「わはは」
 犬飼は歯を見せて笑った。おれは恨みがましくそれをにらむ。
「……副部長かあ、かっこいいもんなあ、そりゃそうだよなあ」
「けどあいつもあいつで、抜けてるとこあるしなー。まあ、完璧な人間はいないってやつだな」
「そうかなあ」
 おれは少し救われた心持ちで、犬飼ってやさしいな、と言いかけて、急に、それを言ったら犬飼が悲しむような気がして、やめた。なぜそう感じたのかはわからない。犬飼はいつもの笑みをうかべて不思議そうにおれを見るだけだった。



 幼い犬飼は寝てしまったようだ。地に伏せてぴくりとも動かない。おれはまた、手をのばそうとした。今度は誰も制止しない。そっとふれる。やはり動かない。
「もう起きねーんだ。なにしても。」
 うしろからまた声がする。犬飼が、おれと幼い犬飼を見下ろして立っていた。冷めた表情だ。遠くを見るような目をしている。
「なんで寝かしちゃったの、」
 おれは恐る恐る聞いた。おれはなんとなく、この幼い犬飼の正体がわかってきていた。
 犬飼は鼻で笑う。呆れたようにおれを見て、
「おまえだって。踏んづけてるじゃねーか」
と、言った。
 おれは慌てて自分の足元を見る。おれの下にはおれがいた。
「ほしい、ぜんぶほしい。夜久も部活の成功も成績も恋愛も青春もぜんぶぜんぶほしい!!」
 幼いおれはなりふり構わずそう叫んでいる。
「うわっ」
 反射的におれはそれを羽交い絞めにして、両手で口を覆い、体にのしかかり、必死でおさえつけた。おれはおれの下でじたばたともがく。
「はは、暴れてるなー」
 人事のように犬飼は笑った。
「そいつを寝かすのは、大変だぜー」
 おれは、犬飼の言葉を聞く余裕もない。幼いおれがあんまりに暴れるので、なんだか涙が出てきた。体面も防御もなにもなく、むきだしで暴れるおれ。
「でもそいつを寝かしちゃうとな」
 犬飼の声は遠い。おれはもうどうしていいのかわからない。悲しくてやりきれなくて、しゃくりあげそうになる。
「胸にぽっかり、穴が空くよ」
 それっきり、犬飼の姿は見えなくなった。




 噛み殺して、
 噛み殺して噛み殺して日々を送っている。
 いつのまにかそうすることが癖になって、もう何を殺してしまったのかわからない。



「犬飼、おれ、ほんとはさ」
「うん?」
「夜久のこと諦められないし、相手が副部長だって、納得できないし、弓だってもっと上達したい」
「……どうしたー?急に」
「言っておかないと、口にださないと、だんだん弱くなって消えちゃう気がして……」
「……」
「こんなの口にだすなんて、むちゃくちゃ苦しいけど。でも、でも……」
 胸が痛かった。でも言わずにはいられなかった。犬飼は、おれの表情をまじまじと見つめながら、少しも笑わなかった。とうとうおれがうつむいてしまっても、頭のむこうに、犬飼の視線を痛いほど感じた。
「白鳥、」
 降ってくる犬飼の静かな声。
「おまえって、すげーよ」
 その言葉に思わず顔を上げると、犬飼は、困ったような顔で笑っていた。
「だって、おれ、わかってても、自分じゃどうにもなんねーもん」
 繕って、うそつきすぎた。そう、言うのだった。
 おれはなにも言ってやれない。自分で自分を噛み殺したやつに、噛み殺すなよ、なんて言ったってなんの意味もない。
 夏の日差しの下でも、そよ風の先でも、どれほど満天の星空が広がろうとも、うつくしい朝日が昇ろうとも、おれが犬飼にかける言葉を見つけることはけっしてないのだった。


おしまい

2010年8月10日 保田のら