“檻の鍵を飲み込んでる君に一切合切関わりたくないよ” (GalileoGalilei/どうでもいい) |
まさか自分よりうさんくさい人間がこの世にいるとは思わなかった。それもこんな身近に。やつのことを、あるひとは優しいという。あるひとは強いという。あるひとは行き届いているという。あるひとは美しいという。 おれはそうは思わない。あれはただうんさんくさい。信用ならん。自分以上に! 滝がレギュラー落ちしたあと一番悲壮な顔をしていたのは本人じゃなく鳳だった。あれは端から見ててもかわいそうだった。そりゃそうだ。直接滝をひきずり下ろした宍戸はいいだろう。もやもやするもんはあっても、誰も文句は言うまい。だが鳳はどうだ。滝をひきずり下ろす片棒を担いで、虫も殺さぬ顔で宍戸を祝福し、それからようやく気づいたのだ。自分がしたことの残酷さに。 気づいてから鳳は、それはもう目も当てられないほどに落ち込んだ。もちろん宍戸はなにも言えず、跡部が何か言うはずもなく、そしておれたちは放置を決め込んでいた。岳人はただダブルスの練習でいっぱいいっぱいだっただけだ。おれは、こうなることくらい分かってたやろ、と半ば冷めた気持ちで眺めるだけだった。滝が鳳をどう扱うか見ものやな、と。 そして滝は恐るべき男だった。 「鳳、そんな顔するくらいなら、お前がおれとレギュラーを代わってくれよ」 ロッカールームに居たのは滝と鳳とおれだけ。なんでおれがいるのを分かっててそういう話を始めるのか!脱ぎかけだった制服をあわててロッカーに投げて、ユニフォームに袖を通しながら思う。 「そ、それは……」 鳳は狼狽していた。当たり前だ。こんな直球の言葉をぶつけられては。 「後悔してるんじゃないの?おれを落としたこと。じゃ、今からでもやり直せるよ」 滝の声はやわらかくてやさしい。今日はいい天気だね、と話す声と同じトーンでそんなことを言う。少し間が空いて、鳳の掠れた声が続いた。 「でも、おれ……っ宍戸さんとのダブルス、諦められません…!」 青春ドラマかー。さぶいぼがとまらない。着替え終わったところでさっさと出て行きたかった、だが事の顛末も気になった。滝はふふ、と息を漏らすように小さく笑った。見なくても分かる。やつは今ものすごく善良な顔をしているだろう。まさに鳳の言ったその言葉を待ってました、といわんばかりに。 「そりゃそうだろ、そうでなきゃ困る。そこまで分かってるんなら、もう足踏みする必要ないだろ。おれのことなんか放っておいて、もっと練習に集中しなよ」 なんて説教じみた言葉。おれはげっそりして天を仰ぐ。だが鳳みたいな純朴な少年には、ようく響くだろう。案の定、滝の言葉を聞いたとたん、鳳は目を真っ赤にして涙をぼたぼたこぼした。そしてそれを懸命にぬぐいながら、すみません、すみません、と謝った。ようやく謝れた、そんな風に、何度も何度も謝っていた。 これは宍戸がおったらよう言わんわな。 この場所、このタイミングを選んだ滝の巧みさを思い知り、ふと滝の顔を覗いてみる。やはりやつは輝かんばかりの正しい顔をして、やさしく鳳を見つめていた。もちろんおれの視線に気付いた上で。 ああ、しょうもない。この小芝居、安っぽいデモンストレーションを、最後まで鑑賞してしまった自分に本気で腹が立った。これで満足か、滝。憎憎しくそう思った。 「忍足。君が何を考えてても勝手だけど、」 滝の意識が急にこちらに向いて、おれの心臓は激しく跳ねた。滝はうっとりするような(クソ)うつくしい笑顔を俺に向けていた。形のいい唇がそうっと開く。おれがそこから目を離せないでいるのを確認してから、勝ち誇ったようにこう言った。 「穿った見方ばかりしてると、損するよ?」 おれは弾かれたように一目散にロッカールームから逃げた。言葉にならない。考えがまとまらない。 「くっそ、くっそ!」 まるで岳人のように、そんな単純な罵りしか出てこない。 あれの腹の中をのぞいてみたい。なにが詰まっててもなにを飲み込んでてもおれは決して驚かないだろう。いったいなにが目的なんだ。過程を楽しんでるだけか。そのとき、そのときを愉快に過ごしてるのか。それともおれには見当もつかない大いなるゴールがやつには見えているのか? むしゃくしゃした気持ちで学食に行く。美味いものを食べれば気も晴れるだろう。そんな気持ちで席に着くと、間を置かずに真正面に滝が座った。 「なんっでやねん!!!」 反射で突っ込んだが愉快な気持ちではない。滝も別に笑っていない。 「いや、そろそろさあ。忍足がおれと話したがる頃かなあと思って?」 滝はそんな風に言って、優雅にコーヒーを飲んでいる。と思いきや、ああそれおいしそうだね、と言っておれの昼食にひょいと手をつける。 「……わかった。もうええわ。こうなったら直に聞く。おまえな、何考えてんねん」 「何って、別に?忍足が勝手に、おれの行動をいちいち邪推してるんだろ」 「せやからそういうポーズはもうええねん。おれそういうのほんまに嫌いや。おまえかて、おれが分かってるの分かってて分からんふりしとるだけやろ」 「え?なんて?ちょっと言葉がややこしい」 「たーーーきーーーー」 普段のポーカーフェイスだとかクールだとかいう賞賛は、この際、捨て置く。おれは身を乗り出して滝の手首を掴んで軽くひねり上げた。 「痛い。やめて。」 「ほな茶化してんとちゃんと喋らんかい」 「強引だなあ。人は見かけによらないね。で、何だっけ?おれが何考えてるのって?そんなの、ほんとに、たいしたことは考えてないよ。鳳のことは、まあ面倒だから早めにケリを付けてあげようかなと思っただけだし」 「ほななんでおれが居るときに、わざわざああいう話をするねん」 「ていうかおまえが勝手に居たんだろ。おれはただ、鳳と宍戸が別々に居てくれるタイミングを狙っただけだし。これがなかなかないんだよ?鳳、すっかり宍戸マニアだから」 「……まあなあ」 「あれっもう納得しちゃうの?ちょろいね、忍足」 「滝ーー」 「ふふふ」 滝は歯を見せて笑った。前に見たのよりずっといい、まっとうな笑顔のように感じた。 「ねえ忍足」 「なんや」 「おれのこと考えてもやもやした?」 「っはあ?」 「おれのこと気になって、いらいらしただろ。考えないようにしようと思っても、どうしてもできなくて、おれの言った言葉とか、仕草とか、思い返しては心底むしゃくしゃしたんじゃない?頭の中で繰り返し…繰り返し、さ」 「……何が言いたいねん」 「おれの目的って、つまり、そういう風に仕向けることだからね」 滝は軽やかにそう言った。そして席を立ち、じゃあまた部活で、とほほ笑んだ。おれがぽかんと口を開け、何も言えないでいるのを、面白がるように見つめて、 「あれっ、もしかして今のでどきっとした?忍足、おまえほんとちょろいよ」 と目を細めて破顔一笑した。そこでおれは、からかわれている自分に気づき、一気に血が上る。 「おまえ、いいかげんに…!」 「顔が赤いよ。ふふふ」 じゃあねえ、ひらひらと手を振り、滝は今度こそその場から去っていった。残されたおれは、腹立たしさにまかせてテーブルを叩く。滝が飲んでいたコーヒーのカップが控えめに音を立てた。 この自分が、ここまでやりくるめられ、煙にまかれ、ああ、ああ、もう本当に! おれはテーブルに突っ伏した。滝が遠くでこんなおれの様子を見ている気がした。見たいなら見ればいい。せいぜい面白がってくれ。どうせ遠くからでは、この赤い耳は見えっこない。やり場のない気持ちのせいで、小刻みに震える指先など、見えっこないのだ。 おしまい 2012年6月2日 保田のら 冒頭の一文はGalileoGalileiの「どうでもいい」という曲の歌詞から引用しました。 |