“悲しみの言葉は 全部すてたい 愛はひとつの言葉では 語れないけど”
(MY LITTLE LOVER/白いカイト


 地区大会で青学に負けて全国に行けなくなった時。日吉は泣くし岳人は泣くしで、忍足は二人を適当に宥めるのに懸命になってそれで自分の気持ちをごまかしていた。ジローはちょっと苦々しい顔をしたあと、けろっとして居眠りするフリをしていた。樺地は黙って跡部の後ろについていた。おれは、べそべそ泣いている長太郎に、次はお前らの時代だぜ、と喝を入れながら、もしかして跡部も泣いてるんじゃないかと思って、ちらちらとあいつの顔をうかがい見た。しかし跡部は悠然とした表情で、おれたちを含む氷帝テニス部の面々を眺めていた。泣くどころかどこかほほ笑むような余裕のある表情だった。

「来るんじゃねえよ」
 敵意むき出しのぎすぎすした声だ。しかしおれは一歩前に出る。すると勢いよくタオルが飛んできて、おれの顔を覆った。乱暴に払いのけると今度はジャージの上着が飛んでくる。さすがにそれは手で受け止めた。
「…なにすんだよ!」
「だから、こっち来んなっつってんだろ!」
「ロッカールームに来てなにが悪いんだよ!」
 おれは売り言葉に買い言葉で、カッとなって言い返す。が、本当は分かっていた、痛いほど分かっていた。ロッカールームの扉を開けた瞬間から、しまった、と思ってたんだ。ベンチに膝を抱えて座っている跡部を見て、これは触れてはいけない、と反射的に思った。実際そうするつもりだった。ドアノブから手を離さず、すぐにでも閉めてやるつもりだったんだ。気まずいが、なにかするより余程ましだ。それくらいおれだって分かってた。なのにこいつが、来るんじゃねえなんて、あんな、あんな傷ついた声で言うから。
「荷物。……取ったらすぐ帰る」
 おれはぶっきらぼうに言って、跡部のほうを見ず自分のロッカーの前に立つ。跡部は微動だにしない。息を殺し、おれが居なくなるのをじっと待っているようだった。かばんにロッカー内の私物を詰めながら、数日前の試合を思い出す。あんなにみんなが泣いていて、悔しがっていて、そのなかで悠然と構えていた跡部。なんで今さら泣くんだよ。こんな誰も居ないところで。誰も居ないから泣いてんのか。じゃあ誰かに見られるのがいやなら自分の部屋で泣けばいい。思う存分醜態をさらせばいいんだ。なのにどうしてこんなところでうずくまってんだ。見つけてほしいからじゃねえのか。おまえは。おまえってやつはよ!
「…っだー!もうやめだ、まどろっこしい!」
 おれはかばんを放り投げて跡部の正面に立った。跡部はあいかわらず、膝を抱えて顔を突っ伏している。馬鹿じゃねえの。なにいまさら恥ずかしがってんだっつうの!
「見つかっちまったもんはしょうがねえだろーが!第一こんなとこに居るのが悪いんだよ!んだよ今さらめそめそしやがって。あの余裕はなんだったんだよ!こんな何日もたってからぼろぼろ泣くくらいなら、……」
 言いながらおれは、跡部を見下ろすことに違和感を覚えた。ずるずるとロッカーの壁にもたれてしゃがみこむ。同じ目線になる。跡部の顔は見えないが。
「あんとき、みんなと一緒に泣けばよかったんだ……」
 ああああ嫌だ嫌だ。おれが泣いてどうすんだ。ごしごしと目をこすりながら、そういえばあの時泣けなかったのは自分も同じだ、と思い至る。そうだおれだって泣きたくても泣けなかった。ほんとうは思ってたこといっぱいあったし、言いたかったけど、まるでそんな泣き言は端から捨てちまったみたいに、なんにも出てこなかった。今だって出てこねえよ。ただ嗚咽だけが溢れてくる。跡部、おまえも、そんなだったのか?
 不意に跡部が顔をあげた。いつも相手を見透かすほどに澄んだこいつの目、いまは真っ赤でぐしゃぐしゃだった。眉根をきつく寄せて、痛みに耐えるように唇を噛む。なんて顔だよ。おれの王様。
「宍戸、」
 跡部が鼻にかかった聞き取りにくい声でおれの名前を呼んだ。それから俺の頭を抱え込んで、ぎゅっと抱きしめて、おいおい泣いた。ほんとうに、声を上げて、泣き出したんだ。おれは苦しかった。圧迫されて息もまともに出来ない。でもなぜだかおれは、跡部の背中に腕を回して、自分からよけいにぎゅっとくっついた。だっておれが一番知ってるんだ、こいつのこと、誰が一番見てきたんだよ。おれだろ!いいところも悪いところもみんな知ってるんだ、おれがいちばん。
 ああ、おかしな高揚感だ。今ならこいつに何されてもいい。何だってしてやれる。おれの大嫌いなセンチメンタリズムだ。いやちがうもっと生々しい実感だよ。跡部の体温がきもちいい。生きてる匂いもする。どきどきするし興奮した。それは悲しみじゃなくて前向きな何かだった。ただの欲望かもしれない。ともかくおれは、おれたちは、悲しみなんてものは捨てちまったのだから、そうするのが一番健全な気がした。すくなくともおれは、今、そんな気持ちで、ひたすら跡部にひっつきながら、わけのわからない熱に浮かされていた。

おしまい


2012年6月2日 保田のら

冒頭の一文はMY LITTLE LOVERの「白いカイト」という曲の歌詞から引用しました。