愛を信じず


 あいつはおれの帰りを待っているだろうか、いや、きっと待ってないだろう、でも、もし、万が一、待っていたらと思うと、無性に心苦しいような、寂しいような、胸が締め付けられるきもちになって、おれはひたすら帰路を急ぐ。
 そうやって乱暴に運転したり車から降りてほとんど走るように足を早めたりしながらおれは、急ぐ自分に酔っている。酔っているのだ。ただのナルシシズム。本当はあいつが待っていようがいまいが関係なくて、おれは、ただ、あいつのために急ぐ自分を演出しているだけだ、これであいつが待っていたら、わざとらしく息を切らすのだろうし、待っていなかったら、おいおい、おれってこんなにあいつのこと思ってたのか、なんて自嘲して献身的な自分に酔う。
 下らねええ、救えねえ、ここまで分かってるのに、まだそれを実行しようとする自分が何よりみっともねえ。
 おれはエレベータのスイッチを力任せに押し、肩で息をしながら、いらいらと足を鳴らす。
 エレベータに乗り込み、こんどはその中で足を鳴らす。そうやって演出したって誰も見てねえよ、と、自分の頭の片隅から冷めた声が聞こえる。
 いつものラウンジにつく。まっすぐ自室に向かう。ポケットからはすでに鍵を取り出している。鍵穴に鍵がささらない、舌打ちして無理矢理ねじこむ、ようやくドアが開く。

 おれは急に、冷静になった。

 静かに中に入る。中は真っ暗だった。おれは、自分がひどく落胆していることに気づかないふりをして、いつものように奥へ進んだ。
 ふと何かを蹴飛ばし、それが、脱ぎ捨てられたあいつの靴だと気づいた、そのとたん、急に心臓が跳ねて、おれは思わず息を呑む。
「……イヴァン、」
 暗闇にむかって、そっと名前を呼ぶ。返事はない。おれは目を凝らし、ともかくベッドランプに手を伸ばして、ほの暗い照明をつけた。
 部屋が少し明るくなる、おれは、すぐそばのベッドで、眠っているイヴァンを見つけた。イヴァンはおれが部屋を出る前に整えておいたベッドシーツを、これでもかといいうほどくしゃくしゃにして、ベッドの上で、猫のように丸まって眠っていた。おれがそばにいることなど、少しも気づかずに、平和な寝息をたてている。
「見事に、熟睡してるなあ」
 おれはイヴァンの髪にそっと触れる。それから、イヴァンが抱きかかえている物を見て、目を丸くした。
「おれのブランケットじゃねえか、」
 おれがよくひざ掛けにしているブランケットを、両腕に抱え込み、それに顔をつっぷして、すやすやと眠っている。その光景を見ていると、もう、なんだか、全部ばかばかしくなって、おれはため息をついてそばにあった椅子に座り込んだ。
 どうしてこうやって、誰に見せるためでもなく、ただ、ただ、相手を思って愛を体現できるのだろう。おれはぼんやりそんなことを思い、それから、鼻で笑って自嘲する。
 もういい、降参だ。本当は分かっていた。
 結局おれだって同じなのだ、こいつを思って胸が苦しくなったり、足を早めたり、待たせたくない、早く帰ってやりたい、そういう嘘くさいセンチメンタルでナルシシズムな気持ちは実は少しも嘘じゃないのだった。
「おまえが好きだぜ、イヴァン……」
 ただそれだけ。
 つまりそれだけのことなのに。


おしまい

2010年6月6日 保田のら

溝はあるか」のルキーノです。ルキーノは大人すぎて、好きだとか恋しちゃってる自分をすんなり信じず、自分に酔ってるだけだろ、とか、いろいろセルフ突っ込みを入れてごまかそうとする。